懺悔
大阪人の「始末の精神」。
浪費をしないという意味で、ある作家は「節約」と書いて「しまつ」と読ませていた。
母は常々言っていた。
「出ん得」と言ってな、出て行ったらカネがいる。
家にいてたらええねん。
そうは言ってもたまにはね、久しぶりの母とのお出かけ。
私は12〜3歳だったろうか。
私の服を買いに行く。
しかし、バス停まで向かう道にはいくつかの関所があった。
「どこ行くんえ?」
「ちょっとそこまで」
「気いつけて」
普通はそれで終わりなのに、気の利かない人もいて、
「買いもんけ?
私もいっしょに行くからちょっと待っといて!」
母と二人での買い物を楽しみにしていた私は、ふてくされて家に帰ってしまった。
仕方なくそのオバチャンを連れて、母は嫌々買い物に行ったのであった。
お母ちゃん、かわいそうやったなぁ。 ごめんなぁ。
そう言ってやろうにも、
そうだ、母はもういないんだった。
家の留守電に母の声が入ったまま。
たった2ヶ月前の元気な声で。
悲しみは遅れてやってくる。