懺悔
大阪人の「始末の精神」。
浪費をしないという意味で、ある作家は「節約」と書いて「しまつ」と読ませていた。
母は常々言っていた。
「出ん得」と言ってな、出て行ったらカネがいる。
家にいてたらええねん。
そうは言ってもたまにはね、久しぶりの母とのお出かけ。
私は12〜3歳だったろうか。
私の服を買いに行く。
しかし、バス停まで向かう道にはいくつかの関所があった。
「どこ行くんえ?」
「ちょっとそこまで」
「気いつけて」
普通はそれで終わりなのに、気の利かない人もいて、
「買いもんけ?
私もいっしょに行くからちょっと待っといて!」
母と二人での買い物を楽しみにしていた私は、ふてくされて家に帰ってしまった。
仕方なくそのオバチャンを連れて、母は嫌々買い物に行ったのであった。
お母ちゃん、かわいそうやったなぁ。 ごめんなぁ。
そう言ってやろうにも、
そうだ、母はもういないんだった。
家の留守電に母の声が入ったまま。
たった2ヶ月前の元気な声で。
悲しみは遅れてやってくる。
2017-01-16 11:35
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コメント(10)
アララ~!”最後に涙が出そうになって、かぁちゃ~ん!”でしたね。
爺も天国に行った父ちゃんとかぁちゃんに逢いたいです。
by 旅爺さん (2017-01-17 10:42)
私には母は 父でもありとても厳格でした〈私が関西風・やんちゃ女郎)
反抗期で反発する私にお菓子(貧乏で滅多に買えない)を買い機嫌を
取ってくれた事も・・・結婚しても貧乏暮らしをしていた私が子供を大学に
そののち・明日のお米を心配しなくていいな~って言うのを聞いた時
親の深い愛を感じて孝行をしなくてはと思いましたね。
by 侘び助 (2017-01-17 11:18)
後から後から追いかけてくるように寂しさがやって来るそうです
わが母も祖母が亡くなった後3年くらいは寂しかったと言いました
それがまだわからなかった若いころの私です、実母には長生きしてほしいと思う毎日です
by シー (2017-01-17 14:29)
まだまだ、当分、何かにつけて思い出すもんや。
ワタシかて、この年になっても、母のこと、何かにつけて思い出すもん。
元気、出しや~。
by okko (2017-01-17 14:42)
私の場合、父親が死んだ直後に「初めての提灯作り」だったから、
悲しむ間もなく過ぎちゃったんだよなぁ・・・
思いだしてあげるのも供養の様な気がします。
by たいへー (2017-01-18 08:03)
友人でお母さんが亡くなった時に孤児になった気分って言ってた人がいました…本人も50才過ぎてて孫もいたのにね。
お母さんってそうなのよね。
私は亡くなった父との思い出よりも、まだなんとか息をしてる母との
思い出に浸るときありますよ。
でも確かにあの時はごめんね~の思い出の方が多いかも…
by ミラノ (2017-01-18 16:35)
そうです、悲しみは遅れてやってきます。
思い出して急に泣いてしまう事もありました。
たいへーさんの言われる通り思い出してあげるのも供養です。
寂しいでしょうがkotoさん、耐えてくださいね。
by きまじめさん (2017-01-19 00:51)
いつまでも心に生き続けいますよ
楽しい思い出、悲しい思い出、
いつまでも語ってくださいね
by ヒロシ (2017-01-19 08:02)
切ないですね。
私も母との買い物が大好きでした。
私らの子供の頃って みんな貧乏で
親は節約するのが当たり前の時代やったもんね。
時々心の引き出しから出して思い出すのは辛いけど
みなさんの言う通り供養やと思う。
kotoさん 元気出してね。
by オバちゃん (2017-01-19 14:34)
大阪にもそんなオバちゃんが居るんやね~根掘り葉掘り聞きたがる・・
by OJJ (2017-01-21 21:04)