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数々の奇跡

 
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もう長くはないとわかっていた。  
 
怖がりの母には、痛いとか苦しい思いは絶対にさせたくはない。
 
昔みたいに自宅で自然に亡くなるのと同じようにということで、
 
一年あまりお付き合いした主治医。
 
母もお気に入りだった。
 
それに病院でも評判の、信頼の置ける人でした。 
 

入院して骨折治療の後、外科病棟へ変わると、
 
母はあっという間に衰弱していった。
 
自然のままにとお願いしたのは私だけど、
 
もう呑み込む力もなくなった母が、このまま干乾びていくのを、
 
ただ見ているしかないというのは本当に辛い。
 
無駄でもいいから水分の点滴だけでもお願いしてみたが、何の効果もないとのことで却下された。
 
しかし、試しにミカンの房を含ませると、奇跡的に美味しそうに吸った。
 
「丸ごとのミカンは美味しいなぁ。」と私が言うと
 
母は小さく頷いた。
 
意思の疎通はこれが最後で、母が亡くなったのはこの数時間後だった。
 
 
世話のかかる母だったけど、私たちは何も介護をすることなく、 
 
「どっこも痛いところはない 。」と言いながら逝った。
 
それが本当に嬉しい言葉だった。
 
 
 
「姉ちゃん、もうあぶないからすぐに来て。」
 
弟から電話があったのは仕事に行く直前の午後1時ごろ。
 
午前中に入っている Oさんに電話。
 
彼女がそのまま残ってやってくれることになった。
 
もうちょっと遅かったら私が仕事に入っていて、夜の7時まで抜けられなかったところだった。
 
「もう心臓が止まっています。」
 
続けて病院側からはそのように電話が入った。 
 
 
しかし病室に入ると、
 
「まだ心臓が動いています。聞こえているので声かけてあげて下さい。」
 
主治医がそう言った。
 
 
それは
 
「姉が来るまで死亡確認は待って下さい。」
 
弟の、私への思いやりだった。 
 
 
 
「兄弟っていいですね。」
 
手分けして手続きを進める私たちに、 
 
葬儀会社の方が 言った。
 

「ご兄弟は?」
 
「兄がいるんですけど、障害があって・・」
 
 
 
ピンクの百合と白い胡蝶蘭に囲まれて、幸せそうに笑っている母。
 
たくさんの方々がお別れに来てくれた。 
 


「おまえ、早よ来い。」って、
 
     父が迎えに来てくれてるよ。 
 
 
 
 
いろんな奇跡があって、 
 
人生の最後は、ほんとうにドラマチック。
 
 
 
 
 
そして、私の昨年の漢字は
 
    「愛」 
 
 
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              12月4日の母 「愛子」
 
 
 
 

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